南越前町観光に欠かせない「北前船主の館右近家」の魅力を徹底解剖!

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南越前町河野地区の「河野」は越前海岸の最南端、敦賀湾のほぼ入口に位置します。古くから府中(現在の越前市)と敦賀を結ぶ海陸の物資中継地の役割を担っていました。江戸時代中期から飛躍的に発展した北前航路を利用し、日本海沿岸有数の北前船主を輩出しました。特に活躍したのが「右近家」です。右近家は廻船経営で巨財を築き大豪商となり、日本海五大船主に数えられるほどでした。

 

今回はそんな右近家のことをもっと多くの人に知ってほしい!と栄華を誇った右近家のストーリーと、一般に公開している「北前船主の館右近家」の魅力をとことん深掘りしてご紹介します。

 

お話を聞いたのは、南越前町教育委員会事務局の学芸員である稲吉昭彦さん。右近家鑑賞のみどころ、奥深さをお伝えしていきます。「北前船主の館右近家」へ足を運ぶ前にぜひこちらでチェックしてください!

 

まず始めに、北前船とは?

 

「北前船(きたまえぶね)」とは、江戸時代中期から明治時代後期にかけて商品を売り買いしながら(買い積み)、当時の大阪(大坂)から蝦夷地(北海道)まで日本海廻りで往復した海運船のことです。単なる荷物の運搬だけでなく、いわば「海の総合商社」で、鰊肥の需要の拡大と商品価格の地域差を利用して一攫千金を狙える買積廻船でした。米や塩、鰊、昆布など各地の産物、日用雑貨などの生活物資のほか、人の移動、文化の伝播により日本の経済発展に貢献しました。

 

大金持ちの夢を抱いた多くの船乗りが、チャンスをつかむために大海原へ繰り出しました。全盛期には、1往復するだけで千両もの利益を得られたといわれています。今なら約1億円の利益だったようです。

 

平成29年、北前船に関する南越前町を含む11市町で共同申請していた「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」が日本遺産に認定されました。南越前町河野の日本遺産に認定されたストーリーを構成する構成文化財は、北前船主の館右近家住宅や旧右近家住宅西洋館、中村家住宅などが対象となっています。

 

「荒波を越えた男たちが、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした。」

北前船の寄港地・船主集落というストーリーは、時を重ねて彩られた異空間として今も人々を魅了し続けています。

 

日本海沿岸有数の北前船主「右近家」とは?

右近家が海運業を生業にし始めたのは17世紀後期頃。代々河野に住んでいた右近家は、菩提寺である金相寺から土地、屋敷、船1艘などを譲り受け独立し、右近権左衛門家を起こしました。

 

7代目、8代目権左衛門の頃に各地で買い入れた商品を売り買いしながら利益を出す「買い積み」商いに進出します。船主自らの船での商いには常に危険との隣り合わせで、商品の価格変動による損益や、海難により船や積荷を損失することもありました。まさに荒波にもまれながらも右近家は逞しく時代を生き抜き、9代目権左衛門の時代には商いを大きく発展させました。幕末に需要が拡大した鰊肥の賞品価格の地域差を利用し、利益を急増させます。従来から右近家が所有していた持船は2・3艘でしたが、メインシップの「八幡丸」など11艘を所有するまでになります。年間の利益は1万2千両(現在の価格で約12億円)にも達し、日本海五大船主の一つに数えられました。

 

10代目権左衛門の時代になると廻船の数が17艘にまで増え、積石数の合計は18,000石を超え大船団となりました。しかしながら明治時代中期から、北前船による廻船業は、鉄道の発展などにより衰退が進みます。そこで10代目はいち早く西洋型帆船や蒸気船を導入し、海運の近代化を進めるとともに事業の転換を図り海上保険事業へ進出。日本火災海上保険株式会社(現在の損害保険ジャパン株式会社の前身)を設立するなどしてその後も活躍しました。

 

右近家の発展の立役者「9代目権左衛門」はどんな人物でしたか?

9代目権左衛門は17歳で船頭となり、廻船を率いる知識や技術を会得。かなり情報収集に長けていたようです。9代目が船の商いなどを記録した「船主勘定帳」を見ると、当時の収支とともに、頭脳明晰ぶりがうかがい知れます。9代目だけでなく右近家の当主は代々、時流を捉え先見の明と客観的視点を持っていたと思わずにはいられません。

 

しかも、経営手腕に優れた9代目は、廻船経営で得た利益を地域に還元することに積極的でした。私財を投じて社会インフラ整備に充て、明治時代初年には同じ集落で活躍した北前船主の中村家(9代目権左衛門の弟の卯之助・中村三之丞)とともに、武生(現在の越前市)から「春日野新道」を開削します。この新道開催には多くの地域住民を雇用し、地域の人たちに親しまれていたそうです。明治21年に9代目が亡くなった後、経営拠点とした大阪の一心寺に顕彰碑が建立された折、親交のあった150名余りの名が刻まれました。おそらく人脈が広く、その人柄は多くの人々から敬愛される人物だったことがうかがえます。

 

「河野北前船主通り」はどんなところ?

「河野北前船主通り」は、日本海のすぐ側の国道305号線から山側へ1本裏の路地にあります。右近家とともに大きな財を築いた中村家を中心とした南北200m程の通りです。山々が海に迫り、また断層海岸地形で断層崖が海に落ち込む崖下の狭小な平地にある集落で、家々が海岸沿いに帯のように連なっています。

 

北前船主の屋敷構えの特徴は、海から吹きよせる海風を遮るため海側に土蔵を建て、山側に主屋を配置している点です。北前船の富と繁栄がもたらした豪勢な船主邸とともに、河野北前船主通りの独特の景観を魅力的なものにしています。通りを歩けば、北前船が栄えた往時の賑わいや歴史を垣間見ることができます。

 

「北前船主の館右近家」はどんなところ?

10代目権左衛門が建てた邸宅で、往時の暮らしの面影や北前船の貴重な資料を残す歴史資料館として活用し、一般公開されています。

 

塗籠の長屋門が海に向かって開かれ、敷地内には狭い集落道(河野北前船主通り)を挟んで山側に本宅と3棟の内蔵、海側に4棟の外蔵が建ちます。本宅は天保時代の構えを基本に明治34年に建て替えられました。豪勢な構えの平入の2階建で、上方風切妻造瓦葺の屋敷には、北前船で運ばれてきたというケヤキやヒノキ材の太い柱が使われています。蝋色漆塗りの床框や彫り物、装飾など随所に上方文化を取り入れた繊細な造作を見ることができます。土蔵はいずれも2階建で、外蔵の南側3棟と北側1棟があります。屋根には越前瓦が葺かれ、棟先に「右近」の文字が入った丸瓦が置かれています。

 

「北前船主の館右近家」のみどころを教えてください。

屋敷には右近家のメインシップであった北前型弁才船「八幡丸」の1/20の模型や廻船問屋時代に使用していた八幡丸の船幟、船銘板、北前船の商いで使われた「船主勘定帳」、家財道具などの調度品が多く残されており公開されています。

 

まず、右近家の代表船「八幡丸」の模型で注目してほしいのが、右近家の持船の帆は無印だったことです。普通、帆には帆印が入っていますよね。大海原で右近家の真っ白の帆はきっと目立ち、遠くから判別しやすかったでしょう。

 

右近家の船頭が船で利用した豪華絢爛な船箪笥は、右近権左衛門の略「右」「権」や家紋「茶の実」の錺金具が見られます。ほかにも店印の「一膳箸」が入った印半纏や、家紋入りの提灯などが残っおり、往時の富と繁栄ぶりを偲ばせます。

 

 

 

出港の時に航海安全を祈願し、寺社に奉納した船絵馬もぜひご覧ください。時の経過とともに持船の造形が近代化し、明治時代の船は西洋の影響を受けた様子がうかがえます。そういったことを見学する前に知っておくと、資料の見方が変わってより楽しめると思います。

 

「北前船主の館右近家」は北前船の資料の宝庫で、右近家の富と繁栄を垣間見られますが、日本の海運に新時代を築き、多くの人々に敬慕された9代目や10代目という一人の人物に焦点をあてるのも、見学する際の大きなポイントだと思います。資料、そして北前船主の人間的な面、歴史的背景の3つの視点から観覧すれば、資料館をみる楽しみ、面白みがきっと倍増するでしょう。

右近家について詳しく知りたいならぜひ「北前船主の館右近家」を訪れてみてください。

 

本宅背後の高台に国の登録有形文化財に登録されている2階建の別荘「旧右近家住宅西洋館」があります。1階の外観は地中海スパニッシュ様式、2階はスイスの山小屋をイメージして建てられています。内部は暖炉周りの色タイルや窓のステンドグラスなど随所にモダンな趣向を凝らしています。

 

昭和時代初期に11代目権左衛門が建てたもので、昭和の大恐慌の時に働き先を失った地域の人を雇用するために建てられた「お助け普請」だったといわれています。右近家が世代を経ても地域貢献と、人と人との繋がりを大切にする精神は脈々と受け継がれていることが知れますね。

 

西洋館から一望できる日本海と河野の集落の眺望は絶景です。天気のいい日は水平線の向こうに丹後半島の先端も見えますよ。眼下にはお坊さんが手を合わせる姿にみえる奇岩「坊主岩(坊さん礁)」も楽しめます。特に海に沈んでいく夕日は必見です。

 

 

 

最後に右近家とともに活躍した北前船主「中村家」とは?

右近家と並んで頭角を現した北前船主「中村家」にも注目です。中村家は伊予国河野水軍の流れを汲み、明治時代以前は代々「中村三郎右衛門」を名乗っていました。南北朝時代の金ケ崎合戦に参戦後、河野浦(河野)に移住したと伝わります。9代目右近権左衛門の弟・卯之助(中村三之丞)が、中村家に養子に入ることで親戚関係になり、右近家とともに日本海有数の北前船主として隆盛を誇りました。

 

中村家は、平成27年に国の重要文化財に指定されました。通常非公開で、外観のみ見学可能です。内部は年に数回不定期で特別公開をしていますが、現在は保存修理中です。

 

まとめ

今回、北前船主のストーリーを少し紹介しましたが、北前船主について知るには、実際に北前船主通りを歩いてじっくり勉強するのが一番!

 

南越前町河野地区の風土や生活、生業により培われてきた独特の景観は、雄大な日本海でたくましく生き抜いた北前船主たちの歴史とロマンが感じられます。

今度の休日は海とともに生きてきた町で北前船主の歴史と偉人の面影を探してみよう。

 

【北前船主の館右近家】

福井県南条郡南越前町河野2-15

TEL.0778-48-2196

開館時間/9:00~16:00

休館日/水曜日、年末年始(12月29日~1月3日)

観覧料/大人500円(高校生以上)、小人300円(小中学生)、団体割引(20名以上)大人450円・小人270円

【アクセス】

〇車でお越しの方

(関西・中京方面から)

・北陸自動車道南条スマートI.Cから国道305号経由で約20分

・北陸自動車道敦賀I.Cから国道8号を北上、越前・河野しおかぜライン、国道305号経由で約40分

(石川・福井方面から)

・北陸自動車道南条スマートI.Cから国道305号経由で約20分

・北陸自動車道武生I.Cから国道8号を南下、桜橋交差点から国道305号経由で約30分

〇鉄道でお越しの方

JR北陸線武生駅または越前鉄道武生駅から福鉄バス王子保・河野線で約40分、またはタクシー利用で約30分

【関連URL】

https://www.minamiechizen.com/kitamaebune/

https://www.minamiechizen.com/spot/3059/

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